L.v.ベートーヴェン全作品目録
作品目録の作成にあたって
 この目録を作成する上での基盤となっている基本的な資料、および作品の整理の仕方(番号付け)について、御説明いたします。
1.「全集版楽譜」について
 ベートーヴェンの特定の作品について詳しく知ろうとする場合、大きく分けて2通りの方法があります。その作品の楽譜に触れることを主たる目的とする場合には、「全集」を参照するのが有効な選択肢です。ベートーヴェン作品の最初の本格的な全集は、1862〜65年にライプツィヒのブライトコプフ&ヘルテル社から刊行されたもので、この時点で24巻あり、その後の研究成果を集約させた第25巻の刊行(1888年)をもって完結しました。今日、「旧全集」の名で知られているものです(下記、文献1)。その後、1961年から、いわゆる「新全集」の刊行が始まりました(下記、文献2)。このプロジェクトは、刊行開始から40年あまりが経った現在も進行中ですが、第3〜9番までの交響曲や歌劇《フィデリオ》など、重要な作品にもまだ刊行されていないものが多くあります。
 以上の2つの「全集」のような学術的な全集版は、「より正確な楽譜」を網羅的に提供することを第一の目的としています。「一つの楽譜」を作り上げるためには、スケッチ、自筆譜、筆写譜、初版譜などの膨大な資料を比較検討しなければならないことが多く、楽譜テクストの決定にまつわる判断の背後には、しばしば優劣をつけがたいような複数の選択肢が共存しています。こうした無数の「判断」の集積として一つの形にまとめ上げられた楽譜は、「批判校訂版」と呼ばれ、「批判報告(あるいは校訂報告)」が付けられています。これは、背後にどのような資料があって、どのような箇所が問題となり、いかにして最終的な決定が下されたのかということを詳しく説明したもので、作品の主要な資料について知る上で不可欠です。
2.「作品目録」について
 ベートーヴェンの作品について詳しく知るための、もう一つの方法は、「作品目録」を参照することです。「目録」は、作品ごとに基本的な情報をまとめたものです。作品の成立時期やその背景、自筆譜、初版楽譜、編曲譜に関する情報などを網羅的に提示することを主たる目的としたもので、多くの項目では、楽曲の冒頭も紹介しています(曲頭を示す短い譜例を「インチピット」と呼びます)。
 ベートーヴェンの作品目録で、今日もなお最も代表的なものであり続けているのは、一般に「キンスキー=ハルム」の名で知られている1955年に刊行された目録です(下記、文献4)。この目録は、ドルフミュラー編纂の1978年の文献(下記、文献6)によって情報の修正や補足を受けているので、現在では、この2冊が併用されています。しかし、それでも30年近く前の情報ですので、もはや充分であるとは言えません。目下、「キンスキー=ハルム」の新版が編纂されつつありますが、非常に多くの情報を集約する作業ですので、刊行時期の明確な見通しは立っていません。
 「キンスキー=ハルム」の目録が出版されて間もなく、これとは全く別にヴィリ・ヘスという学者が『旧全集に含まれていない作品の目録』(下記、文献5)を刊行しました。その名の通り、上述の「旧全集」に含まれていない作品を網羅的に扱ったもので、ヘスは、のちに『旧全集への補遺』(1959〜71年)として、それらの作品の楽譜を自ら校訂・編纂し、出版しています(下記、文献2)。「キンスキー=ハルム」も、「旧全集」の刊行後に明らかになった情報を掲載しているので、「ヘス目録」には、すでに「キンスキー=ハルム」で明らかにされていた情報も多く含まれています。また、「ヘス目録」は、何らかの資料の中で言及されているのみで、作品の所在そのものは全く分かっていない作品を含んでいる点にも大きな特徴があります。
3.「作品番号」および作品整理の方法について
 作曲家ごとに、その諸作品に付けられる一連の番号を、作品番号と呼びます。通常、ラテン語で「作品」を意味する「opus」という言葉やその略号である「op.」によって示されます。もともとは、楽譜の出版にあたって出版社が付けたもので、同じ作品が複数の出版社から刊行されることも多かった時代には、同じ作品に異なる番号が付けられたりもしています。ベートーヴェンは、作品番号を一貫性をもって自らの管理下に置いた最初の作曲家だと言われています。自らが重要だと認めた作品にのみ番号を付け、番号の連続性も重視しました。この場合も、作品番号は、出版を前提としたもので、基本的に出版の順で付けられています。したがって、作曲されたのは前でも、あとになって出版されれば、大きな番号が付いています。また、ベートーヴェン自身、多くの出版社と同時に取引をしていたこともあり、すべての番号付けを管理し切れたわけではありません。例えば、作品41、42、61、62は、いわば「穴」になっていて、ベートーヴェンの作品を第三者が編曲したものが入り込んでいます。作品138のいわゆる「レオノーレ序曲 第1番」のように、作曲者の死後になってから初めて出版された作品に、出版社が勝手に付けた番号もあります。
 さらに、ベートーヴェンは、自作のすべてに番号を付けたわけではありませんでした。出版された作品でも、彼がそれほど重要だと見なしていなかったと思われる作品や、彼の生前に出版されなかった作品には、作品番号が付けられていません。こうした作品は、「作品番号のない作品(Werke ohne Opuszahl)」の略である「WoO」という略号を付けて整理されています。全体は、まず器楽作品と声楽作品に大別されていて、それぞれが編成の大きいものから小さいものへと順に並べられており、声楽曲は「WoO 87」から始まっています。「キンスキー=ハルム」には、138の作品番号のある作品と、205の作品番号なしの作品、それに18の偽疑作が掲載されています。
 ベートーヴェン作品の場合には、上記の2つの番号付けのほかに、「ヘス目録」による番号付けを使って「Hess」と表記するものがあります。もっとも、上述の通り、「ヘス目録」には、「キンスキー=ハルム」と重複している部分も多く、そうしたものに関しては、基本的に「WoO」の番号のみを記載します。ただし、「ヘス目録」で情報が追加されている場合などに関しては、「WoO」と「Hess」を併記する場合もあります。
4.日本語の資料
 日本では、古くからベートーヴェンに関する文献が翻訳されたり、著作が出版されたりしていますが、20世紀最後の数年間には、全作品を網羅的に紹介するような文献が相次いで出てきました。
 先陣を切ったのは、1997年の刊行の『ベートーヴェン大事典』です(下記、文献7)。これは、1991年に出版されていた英語の文献の翻訳で、個々の作品に関する情報は最小限にとどめられ、作品ごとの解説もありませんが、時代背景や創作の背景、資料の全体像、演奏習慣、受容史などのさまざまな論点ごとに、新しい情報をまとめている点に特徴があります。
 この翻訳文献が刊行された2年後の1999年、今度は日本語で書き下ろされた『ベートーヴェン事典』が出版されました(下記、文献8)。こちらは、個々の作品に関する情報や解説が中心となっていますが、編曲、断片、偽疑作の情報も包括的に含んでおり、ベートーヴェンの作品に関する詳しい情報を、最も網羅的な形で提示しています。
 そして、この文献と部分的に時期を同じくする形で連続刊行されたのが、10巻からなる『ベートーヴェン全集』です(下記、文献9)。1冊からなる上記2つの文献とは、規模も全く異なりますが、総計102枚のCDによって、ベートーヴェンの作品の大部分を音源で紹介している点にも大きな特徴があります。作品に関する情報は、CDの曲目解説の体裁をとっていますが、作曲年や初演、初版などの情報も含まれています。また、内外の学者による論文、ベートーヴェンの生涯や時代背景に関する解説をはじめ、ベートーヴェンの言葉の翻訳や図版も充実しており、現在までのところ、日本語で読める最も包括的な文献ということができるでしょう。
5.主要参考文献について
 なお、本目録の作成にあたって参考にした主要な文献は、以下の通りです。
  1. 楽譜
    1. 「旧全集」: Ludwig van Beethovens Werke: Vollständige kritisch durchgesehene überall berechtigte Ausgabe, i–xxiv (Leipzig: Breitkopf & Härtel, 1862-65), xxv [suppl.] (Leipzig: Breitkopf & Härtel, 1888)
    2. 「旧全集への補遺」: Sämtliche Werke: Supplemente zur Gesamtausgabe, hrsg. von Willy Hess (Wiesbaden: Breitkopf & Härtel, 1959-71)
    3. 「新全集」: Ludwig van Beethoven: Werke: Neue Ausgabe sämtlicher Werke, (München [und Duisburg]: G. Henle, 1961-)
  2. 作品目録
    1. 「キンスキー=ハルム」: Kinsky, Georg und Hans Halm (Hrsg.), Thematisch-Bibliographisches Verzeichnis aller vollendeten Werke Ludwig van Beethovens, München/Duisburg: G. Henle, 1955.
    2. 「ヘス目録」: Hess, Willy, Verzeichnis der nicht in der Gesamtausgabe veröffentlichten Werke Ludwig van Beethovens, zusammengestellt für die Ergänzung der Beethoven-Ausgabe, Wiesbaden: Breitkopf und Härtel, 1957.
    3. 「ドルフミュラー」: Dorfmüller, Kurt (Hrsg.), Beiträge zur Beethoven-Bibliographie: Studien und Materialien zum Werkverzeichnis von Kinsky-Halm, München: G. Henle, 1978.
  3. 日本語の文献
    1. 『ベートーヴェン大事典』、バリー・クーパー著、平野昭・西原稔・横原千史訳、東京:平凡社、1997年。
    2. 『ベートーヴェン事典』、平野昭・土田英三郎・西原稔編、東京:東京書籍、1999年。
    3. 『ベートーヴェン全集』、全10巻、前田昭雄ほか監修、東京:講談社、1998〜2000年。
  4. 音楽事典類
    1. The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2nd Ed, 29 Vols, ed. by Stanley Sadie and John Tyrrell, e. a.: London and New York, Oxford University Press, 2001.
    2. Die Musik in Geschichte und Gegenwart: Allgemeine Enzyklopädie der Musik, 2. neubearb. Ausgabe, 28 Bände in 2 Teilen, hrsg. von Ludwig Finscher, Kassel e. a.: Bärenreiter; Stuttgart, Weimar: Metzler, 1994–.
    3. 『ニューグローヴ世界音楽大事典』、全21巻+別巻2、東京:講談社、1994 – 95年。
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