肖像と彫像にみるベートーヴェン
13歳のベートーヴェン
作者不詳 1783年頃の油彩画 22×17cm
現在確認されている最年少のベートーヴェン肖像画。1972年にはじめて公開され、ロビンス・ランドンの著作“Beethoven.Sein Leben und seine Welt in zeitgenossischen Bildern und Texten”(1974)にモノクロ掲載されました。カラー画像は“Heritage of Music”(1983)[日本語版「クラシック音楽史大系4」パンコンサーツ](1985)において見ることができます。
ランドンによれば、1952年にハルトヴィヒ-シュミット博士Dr.Hartwig Schmidtがブラウンシュヴァイクのオークションで購入し、ウィーン市立歴史博物館に修復させたもの。18世紀末の画であることは疑いないものの、唇と顎だけはあとから上塗りされているとのことです。画の裏面に二つの記載があり、一つは「L.H.ベートーヴェン.13歳.ベートーヴェンからズメスカル男爵への贈り物」、もう一つは「L.v.ベートーヴェン」と書かれています。以前の持ち主が美術収集家クラマン-パルロ博士Dr.Klamann-Parlo(1966年没)であること以外は謎に包まれています。
画の来歴がはっきりしていないためか、ボンの研究機関「ベートーヴェン・アルヒーフ」はこの画の人物をベートーヴェンと認めず、最新の書簡集”Ludwig van Beethoven Briefwechsel”(Munchen 1996-1998)にも収載していません。
この少年の顔はベートーヴェン家の男子の顔と比べてみればどうなのでしょうか。
ベートーヴェンの祖父ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(ボン選帝侯宮廷楽長1712―73)は「面長、額広く、鼻は丸くて眼が大きい。頬が豊かに赤く、きわめて真摯なふるまい」の人物でした。肖像画も現存します。父ヨーハン(宮廷テノール歌手1740頃―92)は肖像画は残っていませんが「面長で額広く、丸鼻、肩幅広く、しかつめらしい眼」をしていたと伝えられます。これらから推測する限り、この少年はかなりベートーヴェン家の男子の特徴を備えています。
では、“13歳”頃のベートーヴェンについて述べておきましょう。この時期、彼はすでに音楽家として仕事をしていました。早くも1778年3月、つまり7歳のときに、実年齢より1つ若いふれこみで自作の「協奏曲」でコンサート・デビュー。10歳になると劇作曲家ネーフェのもとでチェンバロと作曲を学び、翌年11歳には最初の作品を書いています。そして12歳の年に師ネーフェによって、堂々「第2のモーツァルト」と将来を嘱望されるのです。13歳の年には、《選帝侯ソナタ》として知られるピアノ・ソナタ3曲(WoO47)を作曲しています。画が“真正”であるとすれば、この少年はこういった時期のベートーヴェンだということができるでしょう。
それでは作曲家でベートーヴェンの先生でもあったネーフェが、当時の雑誌に掲載した文章から、有名な個所を紹介しておきましょう。
1783年3月2日付 クラマー「音楽雑誌」
「ボンにおけるケルン選帝侯の宮廷楽団とそのほかの音楽家についての報告」(抜粋)
“・・・ルーイ・ヴァン・ベートーヴェンは先に述べたテノール歌手の息子で11歳の少年。前途有望な才能の持ち主で、クラヴィーアを上手に力強く演奏し、・・・・現在ベートーヴェンは作曲の勉強をしており、彼を励ますためにネーフェ氏は行進曲をテーマとするクラヴィーアのための9つの変奏曲を出版させた。この若き天才は、留学のための援助をうける資格がある。最初と同じくたゆまず進歩を続けるなら、必ずや第2のヴォルフガング・アマデーウス・モーツァルトになるであろう。”
(藤本一子)
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