ケネス・E・ブルーシア教授 講演記録

「音楽療法臨床における即興」

2001119日(金)2:004:00

於:5号館113教室

訳:加藤美知子 (日本音楽療法学会認定音楽療法士)

 

 昨日お話したことのひとつに、音楽的経験には4種類あるということを申しました。聴取、作曲、演奏そして即興です。この四つの経験のそれぞれが、4つの性格的に異なる側面を必要とします。どの経験が必要とされるかによって、セラピーにどのように使っていくかを決めていきます。今日はセラピーにおける一つの側面である即興に注目してみましょう。

 まず、即興とは何でしょうか。即興にはどのような、人間としての体験が含まれてくるのでしょうか?皆さんの内の何人の方が即興をなさいますか?[一人、二人そして三人目の手が…]

では、ピアノを弾かれる方は?

ベースは?コード演奏をなさる方は?そこにガイドラインがあって、それに沿って演奏するということがありますね。隙間を埋めていきますね?

では、何人の方が、カデンツを弾きますか?

チェロを弾く方は?

モーツァルトの時代にはカデンツァは即興でした。何人かのピアニストがそこで即興を始めたのです。ロマン派の時代になっても、ピアニストが自分の技巧を見せるために即興をするということは行われていました。バロック時代に行われていたのは、ベースラインに番号を与えて、その上に音を即興でのせていくというものでした。鍵盤奏者はその記号を基に、伴奏をつけていったのです。古典派の時代には、演奏者はカデンツァの部分で即興を行いました。即興というものが演奏と非常に近い位置にあったわけです。年月がたつうちに、その伝統は失われていきました。さて私は、みなさんが即興についてどのように考えているのかを知りたいと思っています。楽器を手にとって、その場で思いついたままに演奏をするということをしたことがありますか?たった一つの音を使って。そして次の音に移り…。そしてそこで何が起こるのかを見ていく…。

 

[ピアノ演奏]

これが即興です。私は何が起こるのかについて何のアイディアも持っていませんでした。でも始めました。そして、そこに音を加えてみて、そこに生まれたアイディアを追いかけていきます。ただ演奏を続け、途中である意味のある音が生まれたのです。さあ、このようなことを皆さんはご自分の練習室でやってみたことはあるでしょうか?[今度は会場内に何人もの手が挙がる]

 OK。そうでしょうとも。さて、これは音楽において、ある種異なる意味のあり方をもっているものだと思われませんか?時には怖くもなりましょうし、自分が何をしていいのか分からなくて不安になることもあるでしょう。やっていることが不適切ではないかと思うこともあります。これから何をするのかということは分かっていません。でもとにかく弾きつづける。わくわくしてくる。なにが起こるか分からないから面白い。

 スキーが好きな人はいますか?スキーも同じようなところがありますね。丘を滑り降りていくには、その都度新しい冒険が現れます。即興というのは、「今」「ここ」にあるということですね。あなたのベストを試みながら、これまでの経験を組織作って行きます。あなたがすることを組織化することで、そこに意味が生まれてきます。これと同じことを音楽ですると、何か失敗をするのではないかという心配は脇においておきましょう。そこにはミスというものはありません。何かが起こったとき、あなたには選択肢があります。これを意味のあるものにするか、そのままでいいとするか。あなたはその瞬間瞬間に考えつづけています。何が来ようと何が起ころうと、あなたの意志のひとつとして自分のものにしていきます。あなたはそれによって何でも好きなことをすることができます。

 料理が好きな人はどれくらいいますか?家に帰って、何でも揃っているとは限りません。「ここにはこれがあるな」と思い、他を覗いて「ああ、これもあったなあ」、「ああ、これもあった」。さあ何が起こるか、料理を始めます。「そうだ!これも入れよう!」「あれも入れてみようか?」あなたは即興をしています。即興するというのは、今手元にあるもので何かを作り出すということです。その瞬間何が起ころうと、それを意味あるものに変えていきます。それをあなたの人生に置き換えて考えてみましょう。その時ごとにいろいろなことがあなたに起こります。それにあなたは反応しなければなりません。そこから逃げるわけにはいかない、反応しなければなりません。どれくらいの速さで、これを意味のあるものにしていくか。何か否定的なものを、どのようにして肯定的なものにしていけるでしょう。

 私はひとりひとりの人と対し、お互いの目を見つめて、私たちは話し始めます。私たちの関係の中で即興を始めるのです。ごく自然に目と身体をつかい、言葉や声、それに身振り手振りを使って。すべてのことが新しい、これまでには起こったことのないこと。これまでの人生の中で、自分がどうやって人と関わってきたかということは経験していても、今ここで起こっていることはすべて新しいことです。それらは、いまこの瞬間にあるということを要求します。『今この瞬間この人はどう反応しているだろうか?』『その人に私はどう返していくか?』その時の二人の関係を、少し高い位置から見下ろしているような見方をすることもあるかもしれません。そして新しい人に出会うと、「あなたは何を考えているのかなあ」「どんなことを覚えているのかなあ」「何を言おうかしら」と考えます。以前に言ったことのある言葉を話すのではありません。何か新しいことを話すたびに、あなたは即興しているのだということに気づいていますか?それまでと全く同じ文章を話すなどということはありえません。言語というのは、論述的、つまり即興です。

 言葉という問題からは離れて、音というものについて考えてみましょう。音というものを言語のひとつのかたちとして考えてみてください。あなたは言語で即興しているのと同じように、音で即興していくのです。とてもシンプルな楽器を手にとってみましょう。これでいろいろな事を伝えることができます。とても微妙なことを伝えることができます。だれかがこんなことを言っているとすると…

 

[楽器演奏](小さなドラムを撥で優しく)

この人はあなたに何かを聞いているのでしょうか?あなたを待っているのでしょうか?あるいは、あなたに誘いかけているか?いろいろ考えられますね?では、これはどうでしょうか?

 

[楽器演奏](同じ楽器を、強くたたきつけるように)

何かを尋ねているのでしょうか?あなたを待っているのでしょうか?何かを要求しているのでしょうか?

この二つの、どちらがどのような意味であるのかは分かりませんが、この二つが違ったものであるということは分かります。それぞれが幅の広い意味を持っています。あるいは意味の中に可能性が考えられます。

例えば二人で会話を交わすということを考えてみましょう。おしゃべりをするというような感じでいきましょう。

 

[一人にもう一つのドラムと撥を渡し、向き合って座って、お互いに演奏]

 さて私たちは会話をしました。私たちが何を話したか分かりますか?分かりませんね?でも私たちはお互いに知り合うことができました。彼女は私に反応してくれました。更には、あれこれと違うやり方で反応してくれました。二人で演奏を続けていくと、お互いにいろいろな演奏方法を発展させていくことができました。私たちが互いにおしゃべりしているうちに、まじめな感じになっていきました。でもそこには遊びという要素がありました。私たちは単にコミュニケートをとっていただけではなく、遊んでいたのですね。あなたはあなたのドラムで遊び、私は私のドラムで遊び、私はあなたと遊び、あなたは私と遊んだのです。これは、子供たちが遊びながらだんだんと関係を作っていくのと同じようなことです。非言語的に、瞬間瞬間、お互いに相手が何をしてくるかを見ながら遊んでいます。これほど長いこと注目されているということは、あまりなかったのではないでしょうか。なぜなら、私はあなたに精一杯の注目をしていたのですから…。それが、そのことが、まさに要求されているのです。お分かりいただけましたでしょうか?では、以上のことを考えながら、次に進みましょう。

 

OHP

即興的音楽療法とは、療法的目的(すなわちクライエントの臨床的問題の査定、治療、評価)のために音楽的即興を用いることである。

 私たちは自発的に反応しながら、徐々に音楽的形式を発展させていきます。私たちがここでやり取りをしている間に、私たちは音楽的なアイディアを持っていました。そしてそのアイディアを投げかけあっていました。このアイディアのやりとりを通して、形式が作り上げられていきました。音楽的な形式が創造されていったのです。Aに対してA、B―B、A―B、A―A―C、B―B―C…。これらのパターンが一緒になって、音楽的なアイディアが音楽的形式を作り上げていきます。私たちは、それを瞬間瞬間に、全く自発的に、それまでに存在する音楽的構造というものに全く関係なく、あれらのリズムを作り出して、進んでいったのです。私たちは私たちの演奏していることをそこに位置付けていきました。作曲することと即興することとの違いですが、作曲家は作曲をするその瞬間には演奏はしていません。作曲家の活動は、アイディアを紙に書き写し、又作曲し、その後演奏することになります。即興では、そのことが同時に起こるのです。同じことは二度とできません。終わってしまうのです。それを再生することはできないのです。私たちのおしゃべりと同じです。私たちは会話をし、とても素晴らしい対話となったとしても、そのすべてを同じように繰り返すことはできません。あなたの人生における最も重要な会話であっても、再生することは不可能でしょう。それは瞬間に起こったことだからです。ある特定のことは、その瞬間にしか存在しないのです。人間であるということは、私たちに、刻一刻に私たちの意志を実現していかなくてはならないということを要求します。そうであるがゆえに、私たちは常に新しいことをやっているのです。

 

OHP

定義

即興とは、即時的に(その瞬間において)音楽的形式を創造しつつ、一方で音群をも作り出すプロセスである。

 即興の定義とは、プロセスの中で音楽的形式を作り上げていくということでした。しかも「自発的に」、「演奏しながら」、行うということでした。さて、即興的音楽療法というのは、このような経験を用いながら、それを治療的な目標に生かしていきます。では、臨床において即興というものを使用することについての治療目標というものを考えてみましょう。

 

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即興療法の目標

       ・感情の表現を進める。

・自己とその潜在力について、洞察を得る。

・相互作用やコミュニケーションスキルを発展させる。

・構造の中で個人としての自由を発見する。

・人生における問題を解決する創造性を養う。

 まず、感情の表現を促すという目標があります。私があなた方くらいの年齢の頃、練習室に行くと、まずピアノの前に座って自分自身をクリアーにし、そのとき私が悲しいなら、何か悲しい気持を即興で演奏しました。なぜなら、そうする方が、その瞬間には私にとって易しいからです。

 

[ショパンを演奏]

ショパンの曲を弾いたのでは、私はショパンに制限されているからです。「私がしたいのは、そうではなくて…」

[即興によるピアノ演奏をしながら]

何を意味するのかは分かりません。私が感じていることを、こうしていくことでクリアーにしていきます。私は何かを繰り返しています。左手は繰り返しを…。これが、私の悲しみです。ショパンの悲しみではありません。私だけのもの。私だけができること。あなたにはできない。それは、あなたより私がうまく弾くということではなく、これは私の悲しみだからです。これは私の表現方法だからです。これは、私が組織化していくやり方です。私たち一人一人は違った方法を持っています。あなたにこのようなことをやってくれ、というときには、あなたは全く違ったことをやります。でもどのような音にするかということは心配しなくてよいのです。あるいは楽譜が何を言おうとしているかということは気にしないで下さい。私が私の楽器と共にある、それだけを考えればいいのです。臨床の場面においては、即興演奏というものは、感情を表現していく上での援助となるのです。

 私たちは、音楽家としては、何か喉までいっぱいになっているようでいやだといったことがあるかもしれません。いつも旋律や和音について心にかけていなければいけないからです。でも子供を見てください。例えば全く音楽教育を受けていない子供が、なにか単純な楽器を手にとったとしましょう。彼は思ったままに弾きます。その瞬間の気分のままに、彼は何が悲しいかといったことを考えたりせず、心おもむくままに…

 

[ザイロフォンを膝におき、撥をさかさまに持って、鍵盤を左右に細かくこする]

この楽器がここにあることで、自分がどう感じているかということを表現することを可能にしてくれるのです。その音、それは身体との関係性を持っています。それがDマイナーのコードからの発展であるとか、メロディーは上声でどう動くか、とかいうことは考えません。音であればいい。もし臨床場面において、何の音楽的経験も持たないクライエントが来たとしたら、音楽家から見れば即興などできるはずはないといわれても、彼らはあなたよりも良い演奏をするでしょう。なぜか?彼らは音楽家よりも、よりよく即興できるからです。彼らには何の迷うこともないし、間違ってはいけないという強迫もないし、ただ楽器を見て、音を出すチャンスだなと思います。その彼らの出す音は、彼らの中の何か一部を投影しているのです。

 全く音楽的訓練を受けていない多くの人々は、言葉での表現は困難であるとすると、彼らの感情について表現するのは困難です。例えば、結婚していて、ご主人には言えないことが何かあるとして、(おそらく沢山のことがあるとして)、これを表現するための方法を持つチャンスが与えられたとすると、それはあなた一人にしか表現できないものとなります。素晴らしいことです。私たちは言葉では表現できないことを楽器で表現します。これは弱点でも欠点でもありません。さきほど私たちがやりとりしたことも、言葉で正確には分からなかったとしても、それはデメリットではありませんでした。何よりもメリットだったのです。彼女は音楽の中でより大きな勇気を私に見せてくれました。もしこの教室の外で出会ったとしたときに示したかもしれないものよりもずっと大きな勇気を、です。外では何か少しのことしか言ってくれなかったかもしれない。私たちがつながるという経験も外ではできなかったかもしれないのです。

 次の目標は、あなた自身を知るということです。あなたが、ピアノまたはご自分の楽器に向かうとき、ただ弾いてみます。そして驚きます。「ああ、自分がこんなふうに感じていたなんて思わなかった」。時々即興していて起こることは、あなた自身の新しい側面を発見することです。即興を続けていると、「ああ、自分はこんなことだってできたんだ」ということが分かったりします。その中の幾つかは、普段のあなたは表現しない部分かもしれません。なぜならあなたは自由だからです。あなたの中のどの部分であれ、本来なら自由に表現してよいはずです。

 三つ目の目標は、他の人々と関係を作るというものです。どのようにして他の人に注意を向けますか?どのように他の人に耳を傾けますか?どのように強調するでしょうか?もし、あなたと話していて、私がどのように感じているかを伝えるとしたら、あなたは同じような感情で受け止めてくれるとは限りません。あなたは、それでも言葉ではOKと言うかもしれません。しかし、音楽でこれをするとすると、私は自分のひとつの気持を表現し、あなたはあなたの気持を表現します。「ああ、あなたは私のことを聞いてくれていないのだなあ」「私たちは一緒にいないなあ」「コミュニケートできていないな」と分かります。音楽の中にポジションがないからです。音があなたの感情を表現しているからです。私たちはお互いに演奏し、私たちの感情を交換し合っています。誰かあなたに注意を向けていない人と一緒に演奏すると、それらしい演奏になります。どのように人とコミュニケートするかということを学ぶには、まず彼らの世界に入っていくということを学び、彼らと「非言語的に」どのように関係を作っていくかということを学びます。

 次の目標は、「構造の中で個人としての自由を発見する」ということです。先程二人で即興したときにも、そこにはこの楽器から与えられた構造というものが存在していました。この楽器によって限定された可能性しか存在していません。私はこれで、メロディーもハーモニーも作れませんし、沢山の感情を表現することはできません。でもやりたいことはできます。こんなことも、こんなことも…

 

[ドラムの縁を叩いたりこすったり、撥の柄で表面をこすったり、腰でたたいたり、振ったり等々]

 

この楽器自体が一つの構造であり、もう一つの構造は、二人で一緒に演奏したということです。私は全く自分が好きなことができるという完璧な自由を持っていました。この構造の中にある自由です。すべての音楽がそうであるように、即興は、自分が誰であるのかということを発見していく手がかりになります。私自身であるために、与えられた構造やルールの中で、発見していく自由があります。

 次の目標は、「人生における問題を解決する創造性を養う」というものです。即興というのは、常に自分が次に何ができるかということを考えることです。私に与えられた選択肢は何か。どれが今自分が一番やりたいことなのだろうか。東京で地下鉄に乗ってみて考えたのですが、ある目的地に行こうとすると、それにはいろいろな選択肢があります。駅の真中に立って、いろいろな選択肢の中から、どの経路をとるかを決めていきます。これが早いかな?でもこれは混んでいるなあ。早く着くほうがいいか、空いている方がいいか…。でも音楽ではこうした選択は一瞬のうちに行われます。起こってくる瞬間瞬間それはやってきます。いつも考えています、「どこに行こうか」「何が私の可能性だろうか」。これが創造性の核になることです。即興とはあなたの想像力を音において訓練していくものなのです。よろしいでしょうか?

 例えば、ある人がこの楽器を選んだとして、このように即興したとすると

 

[単調に一定のリズムでドラムを叩きつづける]

 

あなたが出会う臨床場面でこのような演奏を聴くと、あなたは「ああ、この人はこれまでの人生がとても制限されてきたのだなあ」と思います。他の選択肢はなかった。自分が選択する可能性をあきらめてしまった。人生における選択肢というのは全くない…。このようなシンプルな楽器を与えることで、その人がこれまでどのように自分を閉じ込めてしまってきたかが見えてきます。彼らは想像力を失っています。あなたの人生の質というものは、あなたの想像力の質がどのようなものであるかということと非常に密接な関係があります。あなたの人生が今どのようなものであるか、どのような人生が今より良いものであるかが想像できないとしたら、今よりよいものにしていくことはできないでしょう。このようなシンプルな活動によって、その人の想像力を訓練していくことができます。この力が他のさまざまなところに及んでいき、そこから自分のいろいろな感情を表現できるようになっていきます。彼らは自分が誰であるか、自分がどのような可能性を持っているのかを発見し、他の人との新しい関係性を作り上げるということを学んでいきます。彼らは止まってしまってはいません。

 私がかつて心理学の授業をとっていたときのことですが、それは15週間の授業で、毎週いろいろな理論を学びました。精神病理学、心理学の本質とは何か、フロイトの理論、他の理論家の理論。一つ一つの理論は、何が健康であり、何が悪い状態であるのかというように見ていきます。私たちは14の理論を学んだことになりますが、もちろんそこで混乱しました。最後の授業の日、私たちは先生が入ってくるのを待っていました。「いったい心理的な障害とは何でしょう?」と質問したのです。彼は私が決して忘れることのできないことを言いました。病気、障害あるいは疾病とは、療法が「こちらの方がいいなあ」と取りうる選択肢を持っているときのことだというのです。ですから病気というのは何か間違ったことなのではなく、あなたが選ぶことのできる自由又は選択肢をもつことができないということなのです。病気であることの結果として、あなたは制限を受けます。つまり健康とは、制限がないということなのです。即興というのは、こちらの方がいいなあという選択肢を常に探していくという行為です。音楽においては、私たちはよりよい音を求めていきます。この方がいいな、これよりも。ああ、これはよくないな。でもこちらのほうが好きだ…。即興することで、自分の制限以上のことを想像する(イメージする)ことが可能になります。

 

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即興療法における変数

器楽的 ― 声楽的

関連的 ― 非関連的

言語による話し合いのあるもの

    ― ないもの

能動的 ― 受容的

独奏、二重奏、集団

 私たちは即興を多様な方法で用いることができます。楽器を使う、声を使う、身体も使います。関連的ということについてですが、音楽をある物語を作っていくことに使います。標題音楽のように、音楽が何かほかのことを意味しているような使い方ですね。一方、まったく計画というものからは自由に即興することも可能です。それをやってみましょう。終わってからそれについてディスカッションすることも、しないこともあります。私たちがさきほど二人で即興したときも、終わった後でそれについていろいろと話し合うこともできました。そうすることで、そこで何が起こったのかについて、よりよく理解することができたかもしれないし、あるいは次の機会にそうすべきなのかもしれません。子供たちとのセッションにおいては、大人のときほど、言語によるディスカッションはしません。私たちは、そのときは即興演奏に巻き込まれていても、終わった後でそれを振り返ってみることができます。

 誰か私と一緒に音楽をやってみようという人はいませんか?ドラムとシンバルです。最低一分間は演奏しましょう。

 

[演奏]

今のは、非関連的でしたね。器楽的、二重奏。能動的でした。では、他の方にお願いしましょう。

 今度はあなたが好きな楽器をいくつでも選んでください。あなたはそれで、あるストーリーを私に話してください。そのストーリーとは、『あなたは家に帰ります。でも地下鉄で迷子になってしまいます。やがて家に帰り着きます。』ドアを開け、ソファに座るまでの、その時のあなたの感情を音にしてください。

 

[演奏]

今回の即興では、意味を考えることができます。彼女が演奏していることと、彼女の物語の中における位置付けについての意味です。音楽の意味は、この物語と合体しています。しかし音楽自体はさほど組織立っていたわけではありません。直前に私たちが二人で演奏していたときは、音楽的な関係におけるパターンを聴いていましたね。関連的な即興と非関連的な即興は、意味が異なります。その人の演奏をあなたがどのように理解するかも、当然違ってきます。先程のストーリーを私が同じ楽器で演奏してみましょう。私がうまく演奏するということではなく、違った表現が可能だということです。

 

[演奏]

私がここで使ったシンボルは彼女のとは違いました。こういった種類の即興は、ディスカッションすることにより、より意味が明確になっていきます。そうすることで音楽の中のどこで大切なことが起こったのかを明らかにすることができるからです。

 

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即興的療法の主要モデル

個人モデル

・創造的音楽療法

 (ポール・ノードフとクライブ・ロビンズ)

・分析的音楽療法

 (メアリー・プリーストリー)

・自由即興療法

 即興的音楽療法には多様なモデルがあります。即興演奏のスタイルによって、異なった理論が練られてきました。ノードフ・ロビンズは、創造的音楽療法を作りました。この療法は皆さんのなかにもご存知の方がおられることでしょう。ここでは、私が最初にお見せしたように、クライエントとセラピストがその瞬間瞬間に即興をしていきますが、そこにはプログラムもストーリーもありません。

 二番目はメアリー・プリーストリーが開発した分析的音楽療法です。本日の2番目のタイプの即興です。特定のプログラム又はストーリーのもとでクライエントに即興をしてもらいます。終了後、クライエントとそれについて話していきます。創造的音楽療法というのは元々は子供たちのために開発されたものでした。分析的音楽療法は大人を対象としています。前者は、非関連的です。通常はディスカッションは含まれません。後者は、関連的であり、言語によるディスカッションを伴います。ノードフ・ロビンズでは二重奏ですが、分析的音楽療法ではクライエントは一人、またはセラピストと二人で演奏します。両者に共通しているのは、どちらも個人セッションであるということです。

 次の、自由即興療法はジュリエット・アルヴァンによって作られました。彼女はこれを自閉症の子供たちを対象に行いました。彼女が主に用いた楽器はチェロでした。ノードフ・ロビンズではほとんどピアノが使われます。分析的音楽療法では、どのような楽器も使われます。5割はピアノかもしれません。自由即興療法では、チェロ又はピアノが使われます。

 

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即興的療法の主要モデル

グループモデル

・実験的即興療法

 (ケネス・ブルシアとアンネ・リオーダン)

・オルフ音楽療法

 

 次にグループの即興的音楽療法に移りましょう。こちらではセラピストは、先程の個人に対するものよりも主役ではありません。そのことが、集団と個人との違いといえるでしょう。個人セッションではセラピストは非常に能動的な役割を負います。集団ではクライエントがより重要な役割を担います。実験的即興療法というのは、動きと音楽とを組み合わせたものです。例えば、グループはまず、ある即興をします。セラピストが常に参加するとは限りません。大切なのは、グループのメンバーがどのような音楽をするのかを決めていくことです。これは協調性を必要とします。ここでは、言葉と音楽を用いて共に作業するということが行われます。まず作った音楽を録音し、次にそれにつける動きを即興します。これには多くの時間を必要とするために、通常は丸一日のセッションとなります。

 オルフの即興演奏は主に子供たちのためのものです。先程の実験的即興療法はおもに大人を対象としています。では、オルフの音楽療法をやってみましょう。

 

[この列は、足を踏み鳴らす、この列は膝をたたく、この列は手をたたく(全員を3ブロックに)。

ダダダン、パンパン、ディンディンディン  これがセクションAです。

次はセクションBです。四人出てきてください。一人ずつがそれぞれセクションAの後に何か動作(ソロ)をし、次に全員が真似します。]

これは発達障害の子供たちにとって、とても楽しいゲームです。それぞれのグループがあることで、自分の分担に集中できますし、一人一人がリーダーになる可能性があり、構造化されています。これはカール・オルフのアイディアに基づいています。彼は子供のための音楽教育を開発しました。

 

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即興的療法士の主要な任務

E―A―R

・喚起する(Evoke

  クライエントを即興に意志的に参加させる

・査定する(Assess

・反応する(Respond

          即興の最中あるいは後にクライエントと
         相互作用をする

 

 実践的な観点からみると、即興的音楽療法を行うセラピストには三つの課題が与えられています。即興を喚起する、クライエントの反応を査定する、音楽的に反応していく、この三つです。これらの三つのステップについてお話していきましょう。

 まず、クライエントは即興をするのだ、という状況を作り出す必要があります。クライエントにある種の指示あるいは刺激を与えます。これをうまく行うには、まず環境を整えることから始めます。今日私がここに来るにあたって心配だったのは、楽器がどのように並んでいるかということでした。私は、ある特定の並びかたを好みます。大人の対象者と行うときの例を示しましょう。テーブルはここに置きます。その上に楽器を置きますが、各人がテーブルの周りを回ることができるだけのスペースをとります。私は参加者に、「この楽器が言葉の代わりになる」と伝えます。この楽器を使ってコミュニケートするのだ、と伝えるのです。あなたの身体が心地良いと感じるような具合のいい楽器を見つけてください。楽器はあなたの延長である、というふうに考えたことはありますか?あなたは演奏する楽器と自分自身の身体の間に親密な関係性を築いているでしょうか?私がピアノを弾くとき、ピアノは私の指の延長になります。私の指が出す音が、あなたに届くのです。フルートを吹くというときは、私の肺の、私の息の、その先にあると感じます。これは異なる身体的経験でしょう。ドラムを演奏するとき、ドラムは私の体の一部です。ドラムが私の身体の一部になっている、私は手で、自分の身体の一部として演奏する、ドラムは私の身体です。ですからクライエントには、触ってみるようにと伝えます。でも音は出さないで。ただ触ってみるだけですよ、と伝えます。あなたの身体にとって心地良いかどうか、それを手にとって心地良い抱え方がみつかるかどうか、それをひとつひとつの楽器について試みてみて、自分にアピールするものを探します。全部を見終わったら、一番具合の良かった楽器を選びます。それを全員が行い、グループになって座ります。「この楽器を使って何通りの音が出せるでしょうか」、と始めます。「何でもいいから体中の色々な部分を使って、音を探検してみましょう。」そして私はデモンストレーションします。「さあ見てください。これで私はいろいろなことができます。こんなことも、こんなことも、こんなことだって…。[実演]この楽器と私の身体とでいろいろなことができますね。他の人のことはとりあえず気にしなくていいから、自分が探求する音に集中してください。」このように伝えるのは彼が、音を出すということについて許可を必要とするからです。そこには正しいとか間違っているといったことは何もないことを伝えると、雑音の洪水となります。しばらくしてから「さあ、この楽器を使って、グループに対して何かを言ってみよう」と伝えます。私のやったことを聴きましたね?私は楽器と自分の身体との間に関係をつけました。この楽器を使って音との関連をつけます。音を通して、グループの人たちとの関係を作ります。

 「即興を喚起する」というプロセスが理解できましたでしょうか。私がやってみせたことについて、これらの中にはすでに皆さんが知っていると思ったことがあったかもしれません。しかし、治療的な状況に於いて、あなたの理解、あなたがまず受けた第一印象である、いまなぜここでこれをしているのかという理解、を非常に慎重に揺り動かしてみたいのです。全員が、それぞれに(楽器で)発言した後に、グループの一人一人に私は聞いていきます。「何かびっくりするようなことを聴きましたか?」「誰に一番注目しましたか?」「誰かが楽器で言いたかったことに、応えたいことがありますか?」こうした質問をすると、彼らはお互いの存在に気付き始めます。実は私はこうしたことの中にコミュニケーションが存在しているのだということに気付くことを援助しているのです。

 次のステップは、もう少し深いところに進みます。今度は楽器を使ってグループに対して、自分自身について何かを述べ、説明してくれるよう頼みます。それは何か秘密のことかもしれないし、その人の質かもしれない。そして一人一人が演奏していきます。全員の演奏が終わると、「何か言いたいことがありますか?」「このあなたの即興に何かタイトルをつけたいですか?」と一人一人に尋ねます。ここでは音と、その人の人格とを結び付けていく作業が行われています。

 さて次に何をしましょう。私たちはグループに対していく必要があります。今度は、彼らは一緒に即興をすることができるかどうかを見ていきます。そのためにここで構造を与えます。「少し怪しい即興をします。お互いによく相手を見ていなければいけません。できるだけ少しの音でやります。音を持続させて、ミステリーの雰囲気で。一度に一人の人しか演奏してはいけません。でも他にはルールはありません。あなたがいつ演奏するかは自分で決めます。順番には進みません。何か次の音が聴こえたら、自分の音を出してください。」こうして演奏をすると、彼らは自分の出している音が全体の音にどのような影響を与えているのか、ということに突然気付くことがあります。お互いの存在というものに敏感になります。

 即興の場面を喚起するということは、まずその環境が組織づけられているということ。そして、クライエントが一つ一つのステップを踏めるようになっていること。「さあ、即興しましょう!」と言って始められるものではないのです。さて、子供たちの場合には少し違います。大人に即興を促すことの方が、子供に対するよりも難しいことが多いようです。

 さて即興が始まると、彼らは何を言おうとしているのかということを聞き分けなければいけません。彼らが音を通じて私たちに何を伝えようとしているのかを聞き取っていく必要があります。それがその時における正式のコミュニケーションであるとしたら、私たちは、そのやり方で、そのコミュニケーションの意味するところを知っておく必要があります。

 先程録音したテープを聞いてみたいと思います。皆さんはピアノを受け持っていると想像してください。覚えていますか?彼女は最初に座ったとき、待とうとしませんでした。まず私はそこで即興するという場面を喚起しなければいけなかったのです。しかし私はあまり多くのことはしませんでした。即興の実践が始まると、私は彼女のしていることを観察しながら、彼女が何を言おうとしているのか、どういう意味を持たせようとしているのかということを考えていました。

 

[演奏の冒頭を再生]

最初の二つの音を私が弾きましたね。そこにはビートというものを存在させていなかったことに気がつきましたか?私は下の部分を引き受けました。そこで彼女はシンバルを演奏することにしたのです。シンバルというのは音が持続します。従ってそこにもビートというものは存在しません。もう一度巻き戻して聴いてみて、二人のうちのどちらが先にビートというものを持ち込むかを聴いてください。これは私たち二人の駆け引きです。誰が組織立てる道をつけていくのか。

 

[再生]

初めは二人が交互に音を出していましたが、あるところで私が彼女と同時に音を重ねたことに気がつきましたか?これが駆け引きです。そこから私たちはビートと共に演奏するようになりました。ゆっくりゆっくりと彼女の周りを廻っていて、突然彼女に触れた!、そんな感じでした。ここから後はビートがきちんと聴き取れるようになります。彼女がやろうとしたことは、私と一緒に進もう、ということでした。彼女は私のリズムを模倣し始めたのです。ですから私は彼女と一緒になるように努めてみました。そこからは彼女は私のリズムを模倣することで進んでいこうとしました。ですから私たちは同じ方向に向かって、それぞれのやり方で、一緒に進んでいたのです。こうして関係性の駆け引きを音として聴くことができるというのは素晴らしいことです。この後の部分で聴いてほしいのは、私たちが同時に音を出している、つまり拍が合っているところ、同時に駆け引きをしあっているところ、そして私たちが同じアイディアを交代で使っている部分があるということです。音量ではどんなことをしているのかということも聴いてみてください。大きな音、小さな音をリードしているのはどちらでしょうか。音量においては、どのようなときに一緒になり、どのようなときに交互になるでしょうか。私が今言った、同時性、模倣、というのは即興において人間関係を作り上げていく上での非常に基本的な方法です。音楽場面においては、常にこれらの要素を使っているのです。リズムだけではなく、音の大きさ、音色、音高、和音、これらの音楽的要素を使いながら、その瞬間瞬間の人間的な関係も使って、関係性を築いていきます。同時性、模倣、その他いろいろな要素に注意して、もう一度聴いてみましょう。

[再生]

私が即興で学んだことのひとつは、音の大きさ、ダイナミックスの点で一致するように、ということでした。私は、「これを一緒にやれるよ」と彼女に明確に示すためにクレッシェンドをしました。私たちが一緒にクレッシェンドしていったのを聴き取れたでしょうか。でもリズムという点では、私たちは明確な関係を作ってはいませんでした。音楽療法において即興するセラピストの観点というのは、こういったことなのです。私は即興している彼女の演奏に対して反応していきます。彼女が即興しようとしていることを聞き分けなければ反応もできません。ですから即興を扱おうとする音楽療法士の多くは、自分のセッションの録音されたテープを研究します。自分が弾いている間には聴けなかったことが、テープでは聴くことができるからです。査定するということと反応するということが同時に起こるのですね。この二つは常に関連付けられています。どのようにあなたが即興するかを理解するためには、あなたに対して反応するだけではなく、あなたの反応を引き出すということもしていきます。それは完全な円を描くことになります。

 以上は即興する音楽療法士はどのように考えているかということについての、大変に簡単なまとめでした。これを行うには、長い実践経験が必要です。あなたの音楽の能力を充分に使うことができるためには、そしてそれを即時的に使うことができるためには、聴きながら同時に反応していくには、しかもその時クライエントが良い気分でいられるためには、非常に大きなエネルギーが必要です。音楽的に反応するということは、即時的に起こすことであって、「どうしようかなあ」と考えている暇はないのです。

 あるときワークショップをしたことがあります。多くの学生は、どうやって演奏したらいいのかということを知りたがっていました。「いつマイナーコードを使い、いつメジャーを使うのですか?」「いつビートがあって、いつはビートがない音楽にしますか?」「いつ協和音で、いつ不協和音にしますか?」「いつ柔らかな音で、いつ強い音にしますか?」…。そこで私は彼らに言いました、「私は知りません」。すると彼らは怒りました、「では、我々はどうやって演奏するのですか?」。私があなた方にできる最高の説明は、臨床的な概念、音楽的な概念すべては、頭の中の色々な部分につまっているのだということです。私がクライエントと仕事をし始めた当初は、本能的に直感で仕事をしなければなりませんでした。まず最初に考えるということはできない、すぐに即興しなければならないのです。「私は何をしようか」などと慎重に考えすぎてしまうと、自分自身のことが気になって、クライエントに注意を向けることができなくなってしまうのです。ですから私は常にキーボードに手を乗せて、音楽が始まると、勝手に指が動くままにします。コードも音質も考えず、クライエントとの関係性において、その瞬間いいかな?と思ったことをするのです。私が不確実なときは、私の指が動き出す用意ができるまで待ちます。一旦スタートすれば、『OK。リズムだ。音質だ。音量だ。』『あれ、分からないぞ。』『待てよ。ああ、OKOK。』…。これが現実の世界です。即興をする音楽療法士はどこに向かっているかは、一般的な方法としてではなく、分かっていないのです。あなたの直感を信じられるようになるまでには、実にたくさんの練習が必要です。あなたが訓練を受けるときには、原則を学びます。でもクライエントとの場に出たときには、そうした原則は脇においておきます。原則は必要なときに出てきます。これは療法士にとって、非常に挑み甲斐のある仕事です。興味深いものですが、あなたにきちんとした訓練を必要とします。

 

 数分残っていますね。質問をお受けしましょう。

Q:自閉症の子供たちに即興のセッションをしようとしても、彼らは自分の世界に入っているとき、どうやって即興のセッションにしていけばいいのでしょうか?

A:ひとつの答えは、昨日の講義でお話しました。自閉症の子供を対象とするとき、私は楽器を一つだけ、それも触るだけで楽に音の出るようなものを与えます。例えば先程のドラムなどです。そして私はピアノを演奏します。あるいは私も同じドラムを持ちます。私はひとつのところに留まって、その子がしたいようにさせておきます。子供のやっていることに対して、何とか音楽で合わせていこうとします。自閉症の子にとっては、あなたがそこに存在するということを受け入れるまでに、長い時間がかかるかもしれません。これをしているとき、あなたはとても静かで安定している状態であることです。子供に向かって働きかけようとしたり、動いたりしてはいけません。子供が楽器のところに来るのを待ちます。楽器がその子にアピールするまで待つのです。あなたの存在が子供にとって脅威にならないように。彼らが楽器を鳴らし始めても、すぐには楽器を演奏しません。彼らの気持に侵入していかないように。彼が楽器を見つけ、楽器との関係性を築くまでに、非常に長い時間がかかることがあります。その後、彼の出す音と、私の音との間に関係性ができるかどうかを見ていきます。そして彼と私の間に関係が築けるかを見ていくのです。これは大人のセッションと同じです。身体と楽器との関係。楽器と音との関係。音と音との関係。そして人と人との関係です。時間のかかることです。

 

Q:即興のセッションでは、治療者は準備、計画というものをするのでしょうか?

A:一番大切な準備は、その前のセッションの録音テープを聞くことです。初回のセッションでは、私は対象者の一人一人とよく話をします。彼らがどのように反応するかを理解するためです。例えば彼らがトイレに行くときのやり方などの基本的なことも知っておかなくてはなりません。あなたがその人の身体的に近くに来ることが可能かどうかも見ておく必要があります。最初のセッションはとてもゆっくりと行わなければいけません。セッション終了後、記録を取り、音楽があったとしたら、その音楽を聴きます。こうしたことが次のセッションの準備となります。

 

Q:音楽療法を行うにあたって、音楽療法士の人数を教えてください。

A:私は一人で行います。私が誰かと一緒に組んで仕事をするというのは、ダンサーと組むときです。彼女はダンスの即興をリードし、私は音楽の即興をリードします。子供を対象に、音楽だけで行うときには、私はアシスタントを使いませんでした。でもそれは私のスタイルだと思っています。あらゆる点で、それが現実的だからでもあります。なぜなら、多くの施設では二人の音楽療法士はいません。ノードフ・ロビンズの音楽療法では、一人の子供に対して二人の音楽療法士が関わることが多いのですが、時にはノードフ・ロビンズの療法士であっても一人で行うということはあるものです。ですからあなたはいずれ一人で行うのだと考えていた方がいいでしょう。

 

Q: 音楽療法における即興というテーマで、人と人とが音によってどのようにコミュニケートするのかということについて、非常に分かりやすく説明していただき、どうもありがとうございました。たしかにコミュニケーションとしての音や音楽は非常に大切なものです。ただそれはやはり構造をもった音による言語であるわけで,non-verbalとはいっても,ある種言語的なものと言わざるをえません。私の質問は,そうした音楽言語をも超えたnon-verbal、つまり「音楽の真に非言語的なエレメントの即興における重要性」についてです。このことについて何かお考えがありましたら伺いたいと思います。

A:これは重要な質問です。これまでに多くの音楽療法士が、音楽について議論をする必要があるのかということについて議論を重ねてきました。あなたの質問に関連してですが、こうした議論の下には、音楽それ自体が何かを話しているのか、あるいは我々は、誰かがその音楽によって意図したことを理解しなくてはいけないのかという問題があります。更に複雑な問題としては、私たちが対象とする多くのクライエントが「話さない」ということです。彼らはコミュニケートするものを持ちません。一方で、話すことのできる大人を対象にセッションをすると、彼らは音楽でコミュニケートすることで本当の満足を得ることはなかなか難しいのです。そこで、私自身の結論ですが、音楽は、言語ではコミュニケートできないことをコミュニケートします。そしてある領域においては、言葉によるコミュニケーションとよく似たコミュニケートを音楽がします。ある領域においては言葉ではコミュニケートできるけれど、音楽ではできない。音楽療法士が挑むべきことは、この三つの領域を常にオープンにしておくということ、そしてその違いを意識できるということです。

黒板に書いてみましょう。

y

MUSIC

(NONVERBAL)

 

x y

MUSIC

(VERBAL)

 

x

VERBAL

 

 

 

xとyは、異なります。中央のブロックでは一緒になります。但しそれは特定の領域についてのみ起こります。音楽の価値は、それ以外の手段では何ら表現する手段を持たない人が、表現できるというところにあります。

お答えになっていますでしょうか?

 

Q: いまお書きになった区別はとても興味深く思われます。私もそんなふうに考えることがあるのですが,問題は図のyについてです。今日のお話ではxyについてはとてもよく分かったのですが,yの重要性について十分にお聞きできなかったので,こういう質問をいたしました。しかしyとは一体どういう次元なのか。私の考えでは,音楽体験の「強さ」や「リアルさ」の度合いに関わる次元だと思っておりますが議論が必要です。音楽療法士は、対象者や自分の音楽体験の強さということを意識することが重要なのではないか,と申し上げたかったわけです。どうもありがとうございました。

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村井:二日間にわたって貴重なお話をありがとうございました。ブルーシア先生は明後日ご帰国の予定です。

先生はテンプル大学では博士課程を教えておられますが、このコースは音楽療法士として5年以上仕事をしてきた者という資格要件があるとのことです。お忙しい日程の中を、ほんとうにありがとうございました。

記録文責:yabe@lib.kunitachi.ac.jp