資料紹介−楽譜
【新刊楽譜】Allegretto in h moll. Erstausgabe. Herausggegeben von M.Bircher.
Fondation Martin Bodmer Cologny. K.G.Sauer Muenchen 2001
(《アレグレット ロ短調の四重奏曲》」――自筆譜ファクシミリと印刷楽譜[初版].ミュンヒェン2001年)
1999年12月8日、サザビースのオークションにベートーヴェンの自筆楽譜が浮上しました。《弦楽四重奏曲アレグレット 8分の3拍子 ロ短調》(23小節)です。これまで知られてなかった楽曲とあって大いに注目を集めました。今回ご紹介する楽譜は、このとき落札したスイスのボードマー財団から刊行された「自筆楽譜のファクシミリ(写真複製)と初めての印刷譜(総譜とパート譜)です。
この自筆楽譜については、オークションの3ヶ月後に、ボンのブランデンブルク氏によって紹介されましたが(講談社ベートーヴェン全集];2000年)、多くのことが謎とされていました。今回の出版物には、S.ロー氏によって詳細なコメントが付けられ、その中で成立状況が明らかにされています。以下、それをもとに、自筆楽譜と楽曲の概要をお伝えします。
■楽譜:1枚の紙を二つ折にし、さらに左右各頁を二つ折にした4頁仕立て。紙のスカシから、ベートーヴェンが1816‐17年に用いていた紙、つまりピアノ・ソナタOp.101やOp.106のスケッチと同種の紙であることが判明しました。“アレグレット”ロ短調8分の3拍子の弦楽四重奏曲が23小節書かれたあと、末尾に「この四重奏曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1817年11月28日金曜日私のために作曲した、リチャード・フォード」とあります。楽曲もこの人物も、ベートーヴェン文献では初登場です。
■成立:リチャード・フォード(1796-1858)は、イギリスの紀行作家。1817年に書籍商コンスタブルらとウィーンを訪れ、10月12日「野人館」に宿泊。コンスタブルはヨーハン大公に〈イギリス文芸協会ディプロマ〉を贈呈する予定でしたが大公不在のため、これを別の人物に委託。一方、フォードは11月29日にベートーヴェンに会い、おそらく彼の目の前で一気に書かれた自筆の楽譜と直筆サイン入り肖像版画(ルトロンヌ作)を進呈されました。フォードは同日ウィーンを出発し、翌年5月帰郷。自筆楽譜は3番目の妻に伝えられ、彼女が実兄から継承したコレクション(イギリスのコーンウォール地方ペンキャロウ)に収蔵されました。今回のオークションには、ここから出されました。
■初演:1999年10月8日サザビーズで非公式に。2001年3月3日スイス「グシュタート音楽祭」でハーゲン弦楽四重奏団により公式初演。
■楽曲:ロ短調8分の3拍子。「フゲッタ提示―カノン風中間部―変奏再現」の3部形式。
1817年はベートーヴェンの転換期にあたり、この年の末頃から後期ソナタや《ディアベリ変奏曲》など集中度の高い作品が現れ始めます。小品ながら、この《アレグレット》にも、繋留やシンコペーションによる厳格な拍構造分節、対位法への深い関心など、後期に特有の語法がみられます。さらに注目したいのは、「ロ短調」です。ベートーヴェンは「ロ短調」を、1815年のスケッチ帳で「黒い調」と呼んでおり、《レオノーレ・プロハスカWoO96》の葬送行進曲(1815年春、ピアノ・ソナタOp28管弦楽編曲)ほか、僅かしか用いていないからです。この点で浮かびあがるのが1821年のピアノ曲《アレグレット ロ短調WoO61》(27小節)です。「対位法的要素」を含め、両者は多くの共通項をもっています。
この時期のベートーヴェンは何を模索していたのでしょうか。新発見の《アレグレット》は、“後期ベートーヴェン”に向けて、興味深い手がかりを与えてくれるかも知れません。(研究所員 藤本一子)
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