資料紹介−文献
【文献】(ドイツ語/日本語訳)テオドール・W・アドルノ『ベートーヴェン──音楽の哲学』(大久保健治訳)1997年 作品社
Theodor W. Adorno, Beethoven: Philosophie der Musik. Hrsg. von Rolf Tiedemann, Frankfurt am Main, Suhrkamp, 1993
本書の著者とされるTh.W.アドルノ(1903-69)は、哲学のみならず社会学、美学、音楽学など、幅広い領域において重要な仕事を残した20世紀ドイツを代表する思想家の一人です。音楽論に関しては、シェーンベルクとストラヴィンスキーを対照的に論じた『新音楽の哲学』や『マーラー──音楽観相学』、『音楽社会学序説』などが翻訳を通して紹介されており、既に彼の著作と思想に触れている読者も多いでしょう。
そんな彼の音楽論に、1993年新刊が出ました。それが本書です。しかしこれは、アドルノの書いたものによる書物ではあっても、アドルノ自身が書いた書物ではありません。と言うのも、本書の編者ロルフ・ティーデマンによれば、アドルノは生涯にわたってベートーヴェンに関する著作を書く意図を持っていたにも拘わらず、結局はそれを果たせずに他界してしまい、膨大な量のメモ類のみが遺されたからです。本書は、そのようにして遺されたベートーヴェンに関するアドルノの断片やノートを、編者のティーデマンがその内容に即して分類し、纏めたものなのです。
以上のような成り立ちの為、この本は決して統一的な視点からベートーヴェンを論じたものではありません。しかし彼の哲学的なベートーヴェン解釈にはいくつかの特徴的な点が存在します。まず第1には、アドルノがベートーベンを「弁証法」的な観点から解釈しようとしていることです。主観と客観、内容と形式、部分と全体が常に対立的なものとして捉えられ、その点で「ベートーヴェンの音楽はヘーゲル哲学そのものである」(断片29)とまで言われます。そしてこれらの対立を、精神的な「労働」と捉え直された「主題労作」が媒介すると考えられています。第2の特徴は、ベートーヴェンの音楽に社会的な過程を見ようとする眼差しです。藝術の自律性はフランス革命やブルジョワジーの構造から説明され、ベートーヴェンにおける調性や様々な技術的な問題は、合理化された「自然支配」の問題と結びつけられています。
しかしこの様な議論は、決して抽象的なレベルにとどまるものではありません。この書物を豊かで、魅力的なものにしているのは、アドルノ自身による具体的な作品分析にあると言えるでしょう。例えば、ベートヴェンの交響曲に興味のある人なら、交響曲第6番ヘ長調op.68《田園》に関する断片243番を読んでみて下さい。そこでは、トーマス・マンのアドルノ評にあるように、哲学的な思考と音楽分析とが幸せなかたちで結びついています。一方、アドルノは《ミサ・ソレムニス》で再三暗礁に乗り上げ、彼自身の手でベートヴェン論は書かれることはありませんでした。つまりこの書物は、偉大な藝術と類い希なる知性との、幸せにして不幸な出会いと格闘のドキュメントなのです。
では、私たちはそこから一体何を学び、感じるべきなのでしょうか?アドルノは「ベートーヴェンが古びないということ、このことはおそらく、彼の音楽がいまだ現実によって追いつかれていないということ以外の何者でもない」(断片78)と言いますが、そのことはアドルノを介してベートーヴェンに触れることにも妥当するでしょう。ベートーヴェンの音楽が意味深いものとして私たちの前にある限り、アドルノの言葉は私たちの問いの指針として、進むべき道を指し示し続けるのです。(東口豊)
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